根源欲求
ちょっとした壊れ物を直しながら、
こどものころ、なにか物の調子が悪くなると、
わたしが中途半端に分解してとどめをさすからと
ひたすら嫌がられていたのを思い出しました。
なんで分解して壊してたんだっけ? と考えていたら、
ふと原因に思い当たりました。
わたしは「なぜ?」が知りたかったのだと。
分解を始めると、分解と動作の機構を見るほうが面白くなって
すっかり忘れてしまっていましたが、
いま考えると、いままで動いていたものが動かなくなるのは
「なぜ」なのかを知りたくてばらしていたのです。
もともとの状態がわからないので、動かなくなったときに
ばらしてみてはっきりと違いがわかることはまれでしょうが、
本当はそれを知りたかったのだと考えると、
わたしの普段の根源欲求もそれに近いのだと思えました。
数学者や天文学者などが、まったく価値と意味がわからないことに
熱中しているのをみて、あれになんの意味があるのだろうかと
うっすら思っていましたが、彼らは「なぜ」を
解こうとしているのだと思ったら、
とても近しいものを感じました。
そこから広く考えてみたら、人間は「なぜ」を知りたいのです。
そういう生き物なのだとわかりました。
電車が駅でもないところで止まったら、なぜ止まったのか知りたいのです。
車が渋滞に巻き込まれたら、なぜ動かないのか知りたいのです。
そして、自分が生きていることを考えたら、
「なぜ」生きているのかを知りたいのです。
人間の人間たるもっとも根本的なものは、
「なぜ」を知りたいという根源欲求にあるのではないかと、ふと考えました。