竹取物語と
竹取物語をすこし訳しています。
ただ訳された文章を読んでいたり、文章を文字だけのうわっつらで
訳していたりするとなんとも思いませんでしたが、
文字に対する文章の意味を考えながら自分で訳そうとしてみると、
その奥深さに驚きました。
たとえばある二・三文が、中国の別の本の内容を踏まえて書かれて
いたものだったり、それがそのあとの伏線となっているものだったり。
いま、こうしてネットがあるからこそ、片っ端から単語で検索して
ひっかかったものを調べることでその情報にたどりつくことができましたが、
本しかない時代だったら、ほぼたどり着くのはむりだったことでしょう。
今から千年以上前にそんな文が書けるということは、
適当に聞きかじっただけではむりで、自分で読み込んでいる必要があります。
そんな幅広い漢文の本を読み、それを覚えて操れるなんて、
竹取物語を書いた人は、おそらくものすごく頭のいい人だったと
思わざるを得ません。
原本はもともと漢文だったようですが、今はもう残っていないのだとか。
今残っているのは、後世の人が手コピーした読み下し本。
手コピーといえばもちろん、つきものなのが誤字脱字です。
たとえば般若心経を一・二回読んだあと手コピーしても
一字一句間違えずに写せる人などまずいないでしょう。
しかも、さらにひどいのが字のまずさ。
どんな美しいナイフでも、柄や刃にごてごてと宝石や飾りなどをつけて
重く握りづらく切れにくくしたらナイフとしてまったく役に立たず
もはやナイフではないように、
どんなに美しいと言われようと、他人が読めない字など字ではありません。
竹取物語を手コピーしてエンコードしたものは、
字にならない字のものしか残っていないので、
デコードする際にミスが発生してしまうのです。
そのせいで、なに書いてあるかわからない文章が
いくつか存在するようです。
他人が読むものなんだから、楷書体できちんと書くか、
漢文そのままに写しておけばいいのにと、見ていていらつきました。
いかでこの竹取物語原文を えてしがな よみてしがな